最近、ハラスメントという言葉が耳に入ります。特に直接的暴力ではなく、言葉や態度に対し負担に思う人が多いのです。人間が生きていた時代には常にあったのでしょうが、最近はそれをクローズアップする報道や情報が多いので自分に照らし合わせいるのでしょう。
私のような人間はその困っている人の気持ちが理解できないと人によく言われます。
私のような人間とは何なのか?
私はこう考えています。
「私の人生です、人に迷惑をかけなければ(多少はしょうがない)人にとやかく言われる筋合いはないのです。相手の口は塞げませんので言うのは止められませんが、少なくとも気にしません。人に気を使いながら(それが自分にとって得な場合以外は)生きることはしません。
短い一生なんです、そんなくだらないことに時間を費やすぐらいなら、この人生どう楽しく有意義に生きるかに全部の力と時間を使いたいからです。
よく小学校に入学する時に先生が「沢山の友達作ろうね。」て言います。私はどれだけの人がこの言葉に被害を受けているのかと思います。友達がいないとダメなの?友達って作るものなの?知り合いと友達何が違うの?
何かの本で読んだことがありますが、学校に入学するときに「友達沢山作ろう」なんて言う国は日本だけだそうです。多くの国は学校生活を通し豊かになろうとは言うそうです。
さて本題に戻りますが、一人も決して悪くないです。「自分との対話も大事です。」私は工場への通勤時間(往復4時間)ほとんどこの時間は自分との対話に使います。
特に若い人と違い私には残された時間はそれほど多くありません。多少の無駄はしますが少なくとも人の事を気にはしません。(それでもポーズで気にする振りぐらいはするでしょうが)
多くの働く人達に言いたい、人に迷惑をかける身勝手はダメですが、少なくとも自分が思うように生きた方がいいです。
人を好きになるのも、嫌いになるのも自分の意思ではできません。勝手にそうなるのです。
自分の意思でできることは限られています。
だから「嫌な気持ちなるのも」自分の意思ではないのです。じゃどうするのか「忘れることです。」人間が持つ能力でこれほど強い武器はありません。使わ手はありません。自分にストレスを及ぼす人間の言動など忘却という武器で退治してしまえばいいのです。
それから働くことをそれほど重要視しないこと、精神修行じゃないんです。生活の糧を得るためにやっているのです。どうしても精神修行のようにしたい人は勝手にすればよくて、そんな人に合わせなくても何も問題はないです。
とかく学校でも親でもないくせに、もっともらしく偉そうにいう上司がいますがそんなこと気にすることはないです。そういうことを言う人こそ変です。
自分の人生を楽しくどう生きるかが大切なんです。その中の一部が仕事であり会社なのです。
運動部でもレギュラーになって試合に勝つことを生き甲斐に頑張る人もいれば、まだレギュラーにはなれないけど少しでも上手くなるために練習をする部員もいます。試合に出れる子は良い子で、試合に出れない子はダメな子ではないはずです。それぞれがそれぞれの立ち位置で頑張ることが大事です。そこには何の差もないはず。
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