多くの人は「自分は悪くないと本気で思っています。」

会社の中では多岐に渡る仕事をする為に、多くの社員は各自担当の仕事をしています。しかしながら何一つ個々で完結するわけではなく、その担当した仕事の集合体が当社の最終型です。つまり対外的には製品であったり、サービスであったり、契約行為などです。それが対価となり当社に収益をもたらします。
社内で言えば会社の決め事により、そこで働く社員の働きやすさや心体両面の安全性などが考えられます。

最終目的は同じはずなのに、その全てを壊しでも、自分の考え方、所作、そして感情を相手に強弱の差こそへあれ、押し付けます。つまり自分は正しい、だからあなたが間違っているから、間違いを認め私の正しさに同調するようにです。
そうならなとそれは感情的になり攻撃的になりがちです。(本人は攻撃していると感じていません。)
この感情は時には自分にも向けます。
先ごろノーベル賞を受賞した日本の研究者のテーマはT細胞の過剰な働きによる自己細胞攻撃に対する抑制T細胞の発見です。
T細胞とは、体内に入ってきたウイルスなどを攻撃する免疫細胞です。この細胞は時に暴走を始め自分自身の正常な細胞まで攻撃するのです。

会社の仕事において常にこの問題はどこの会社でも発生します。
これは一種の自己防衛行動なのでしょう。問題はT細胞と同じように見境がつかなくなり、必要以上に相手に干渉し続けてしまいます。

全ての行動を「良いか」「悪いか」の選択肢のみで判断をすることは、黒白みたいなもので確かに綺麗なコントラストになります。でもこの「良いか」「悪いか」の定義は非常に曖昧で個人によって大きな幅があり境目を共有できません。
いい例が「言っていることと、行動が違うことです。」側から見るとそうなのですが、本人は許容範囲なのです。ただしそれが許せないのです。

更に分かり易いのが、ちょっと体調が悪いと直ぐに会社を休む人がいます。側から見ると「その程度で休むなよ。」と言います。俺はその程度なら休まない、それは仕事に対する責任感の欠如と言います。
しかしながら本人は無責任に休んでいるわけではないのです。
仕事を気にしてはいます。ただし本人の感覚なのです、休んでいる人を批判する感覚と違うのです。
この感覚は全員一緒にはなりませんが、それを避けたければ可能な限り採用段階で意識合わせをすべきです。それはマイナス面もあり画一的組織になりやすく、企業発展の妨げになります。

この手の問題は時には「うつ病」を招きます。これも一種の自己防衛行動です。
どちらにしても自分が正しいと思わないと生きていけないのも事実ですが、それが何なんですかという感覚を持つことが生きる上では必要な気がします。

昨日、参政党のオレンジのTシャツを着た80歳を過ぎたおじいちゃんが数名で夕方駅前で熱心にビラを撒いていました。なんか違和感を感じます。このおじいちゃん達にこの行為をさせることが政治に参加することなんでしょうか?

全ては「自分は正しい、悪くない、悪いのは相手だ。」から始まっているように感じられます。

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