仕事を始めて早く45年が経過する私ですが、新たな仕事を見出せたのは30代までだったことを思い出します。その当時の私は世間知らず、文章もまともに書けない、典型的なダメ社員でした。それでも沢山の思いつきが出てきました。毎回ダメだしでしたが、10.回に1回ぐらいが採用されました。それでも沢山の思いつきを出したので、採用率は10%でしたが、採用件数は圧倒的に多かったです。
若さや未経験者の価値はここにあるような気がします。この芽を潰しているのが、日本の会社の仕事の仕方なのだと思います。有能とは卒なく仕事をこなすことなっているのです。
つまりテストの成績の良かった人が得する学校と同じです。そしてこのような子は先生も扱いやすいので、その子に特典を与えます。学級委員だとか、何とか委員とかです。
この図式は日本の会社の中でも起きています。つまり小学校の生徒と先生の関係同様、会社でも卒ない新入社員と上司の関係です。簡単にいえば、お互い都合がいいのです。
歳を重ねた社員の特技は卒なく仕事をこなすことです。その卒ない仕事の仕方を評価にしたがる先輩社員の多いこと。理由は自分の評価を高くできるからです。自分の為なのです。会社の為など全く思っていません。
だから自分の意に反する社員の芽を簡単に摘んでしまうのです。
さて本当にこのような人間に新たなビジネスモデルを生み出せるのでしょうか?
学校の成績が良い、会社の仕事をそつなくこなす=優秀社員なのでしょうか?
今まで多くの人を見てきましたが、明らかに違いました。
30代同い年で篠崎さん(仮名)ていう方がいました。とても上司受けが良く、また仕事も卒なくこなす社員でした。よく上司の門倉さんに「篠崎は優秀だが、飯山は本当にダメだな、会社辞めたら。」と何度も言われました。
私は別に上司に逆らっているわけではないのですが、相手はそのように見えてのでしょう。ちなみにこの上司に2年間仕えましたが、1年半は全く口も聞きませんでした。篠崎は一番最初に課長になりました。
それから3年後に私は遅れて課長になりました。
さてこの二人会社に何を貢献したのでしょうか?二人とも課長で会社生活は終わりました。
そういえば私が課長になった2年後に門倉さんが私の部署を訪ねてきたことがありました。
彼は作新学園・慶応卒が自慢の人でいしたが、その彼が私に「俺は何を見てきたんだろうと思う。」「飯山が新しい事業をここまですすめるとは思わなかった。」と言ってきました。
5年ぶりの会話でした。それから彼は翌年癌で亡くなりました。平塚のご自宅に伺ったことを思い出します。
決して若い人の芽を摘まない。学校の成績に惑わされるな。本人が持っている感性を理屈で受け取るのではなく五感で感じ、本人が活躍できる場を作るのが上司の役目です。
先程の上司のその上の上にいた常務が私を認めてくれ、私に活躍できる場を作ってくれました。今の私があるのはこの方のおかげです。ちなみにこの常務は私に何も教えてくれませんでした。文章の書き方から、商談の仕方、何も教えてくれません。ただお前が好きなように自分の決めた目標に向かって進めと言われただけです。
この常務に一度聞いたことがあります。なぜほかに優秀な社員が大勢いるの私を選んだのかと聞いたところ、返事はこうでした。「確かにお前より優秀であること間違いない、それが新たな事業を生み出すことにどんな意味があるんだ。意味などなく逆なんだよ。彼らは何も生みださない。だから君に任せたんだよ。」
この常務の様に私はなりたい。そして今まで会ってきた上司のような人間を見ると非常に腹が立ってしまいます。なぜか自分の芽が摘まれていいるような気になるのです。

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