今朝は朝早くから1957年に上映された「新しい背広」という映画を観てしまいました。話の内容は、終戦後両親を亡くした兄弟が貧しい中、兄は働き弟は学校に通い(東大に行きたい)とい状況。兄が働く設計事務所で働く女性がもう1人の主人公で彼女はハルピンから引き上げ、父を亡く母と二人暮らしの状況。この2人が結婚をしたいのだけれど、兄は弟の学費の為、彼女と中々結婚できません。彼女は彼女で母の面倒を見なければなりません。
どこにでもあるような他愛もないストーリーですが、考えさせられるのです。この当時の日本は貧しかったのでしょう。そして豊かな現代ならば、問題にならないようなこの手の話に、2人は悩み苦悩するのです。それでもその苦悩の先に明るい幸福を感じます。希望なのでしょう。
不思議なのはこの他愛もないテーマにした映画をなぜ作ったのかです。人はほんの小さな愛情や幸せに胸を熱くし、希望をそこに宿すのかです。幸福感を人が望むのは常ですが、強欲の希望は人を破滅させるのかもしれません。
常に欲しいものを手に入れたがる現代。
心地よく生きる為には、あえて不自由さが必要なのかもしれません。それは生きる為の技かもしれません。
常に美味しいものは食べない。美味しいものはたまにがいい。
お腹いっぱい食べない。お腹いっぱいにするのはたまにがいい。
高い洋服はl年一1回で購入すだけでいい。
人を見て羨ましいと思わない。年に一回だけにする。
好きなだけゴルフもしない。月に一回程度にする。
満たし切れない欲望に人は翻弄されます。
会社の仕事も同じ、人を批判することで自分の正当性を定めるのではなく、常に自分を戒め、自分に出来ることを丁寧いに行う。
愚痴はお腹に呑み込み、自分自身との会話の中で前に進むこと。いっけん不自由かもしれないけど満足感を得るにはこれが最良かもしれません。
今朝の映画はそんなことを考えさせられるものでした。
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