孫と干納豆

この写真は、先週実家の兄からもらった「干納豆」です。食べたのは実に25年ぶりになります。

見た目は正直あまり良くありません。人によっては「うさぎのフンみたい」と感じるかもしれませんし、独特の強い匂いもあります。そのため、家族はみんな敬遠してなかなか手を付けようとしません。

しかし、この干納豆をお茶漬けの具として食べると実に美味しいのです。特に今回いただいたような手作りのものは、市販品にはない風味と香りがあり、好きな人にはたまらない味わいです。ただ、その見た目や匂いから、食べる勇気のある人は少ないでしょう。

ところが昨日、もうすぐ4歳になる孫がこの干納豆を見つけるなり、喜んで食べ始めました。そして「おいしい!」と言いながら次々と口に運ぶのです。

干納豆は、今ではあまり見かけなくなった昔ながらの食べ物です。このままでは、私の世代とともに消えてしまうのかもしれません。そんなことを考えていた矢先に、孫が美味しそうに食べてくれた姿を見て、少し安心しました。

もしかすると、この干納豆との再会は、失われつつある味や文化を次の世代へつなぐための巡り合わせだったのかもしれません。

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諦めなければ希望はある

「諦めなければ希望はある」。 この言葉を聞くたびに、私は立ち止まって考えてしまいます。 諦めない気持ちとは、いったいどうすれば湧き続けるものなのだろうか、と。

目標が大きく、気が遠くなるようなものであればあるほど、その問いは重くのしかかります。会社という場所は、日々の業務が絶え間なく続いていきます。その日々の仕事があるということは、決して当たり前ではありません。仕事を得るためには、継続的に受注が入ってくる環境が要ります。そしてその受注環境は、こちらの都合などお構いなしに、日々かたちを変えていきます。

その変化に、常に対応し続けられる仕組みをどう作るのか。 これは、いくら考えても「これで完成」という答えの出ない問いです。

社員の多くは、日々の業務が明日も必ず訪れると、疑うことなく信じています。もっと言えば、それを疑わないでいられること自体は、社員の責任ではありません。安心して目の前の仕事に打ち込める環境を用意するのは、経営者である私の役目だからです。

長村製作所はどこへ向かうべきなのか。 それを常に悩み、模索し続けることが、私の仕事です。

社員たちは、日々の業務や、社員同士の人間関係の中で悩み、忙殺されています。その気持ちは、私にもよく分かります。人は目の前のことで精一杯になるものです。けれど、その「当たり前の日々」を手渡し続けるためにこそ、会社が事業を続けていける“元”を、私は毎日、少しずつでも作り続けなければなりません。

しかも、この社会は競争社会です。 外に目を向ければ、他の会社も必死で戦いを挑んできます。値段で、品質で、スピードで。こちらが立ち止まれば、その分だけ後ろへ下がっていく。外の世界との戦いがあり、そして社内には社内の戦いがあります。その両方に、終わりというものがありません。

だからこそ、私はときどき自分に問いかけるのです。 この永続的な戦いの中で、諦めない気持ちを、どうやって創り出し続ければいいのか。 そして——68歳になった私に、その気持ちを、これから先も作り続けることができるのだろうか、と。

正直に言えば、答えは持っていません。 年齢を重ねるほどに、体力も、残された時間も、確実に限られていくことを感じます。若い頃のように「気合いで乗り切る」というわけにもいきません。それでも、経営者が諦めた瞬間に、会社の未来の芽は静かに枯れ始める。それだけは、はっきりと分かっています。

だから私は、諦めない気持ちを一人で抱え込むのをやめようと思うようになりました。 一人の人間が燃やせる炎には限りがあります。けれど、社員一人ひとりの中に小さな火を灯すことができれば、その火は私がいなくなった後も、会社の中で受け継がれていくかもしれない。仕組みを作るというのは、結局のところ、そういうことなのだと思うのです。私一人が頑張り続ける仕組みではなく、私がいなくても回り、変化に応え続けられる会社を残すこと。それが、68歳の私にできる、いちばん現実的な「諦めない」のかたちなのかもしれません。

希望は、その先にあります。 いつの日にか、その希望の光をこの目で見るためにも、諦めない気持ちをどう創り続けるかは、私にとって、今まさに向き合うべき緊急の課題です。

答えはまだ見えません。 それでも、悩み、迷いながら、明日も会社の“元”を作り続けていく。 ——諦めなければ、希望はある。 その言葉を、自分自身への約束として、もう一度胸に刻みたいと思います。

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人が減る時代に、町工場ができること 〜長村製作所のDX、その要は「通信」でした〜

正直、課題だらけの毎日です

いま、私たちのような中小の製造業は、たくさんの悩みを抱えています。

人が減って、なかなか採用できない。世の中の変化はどんどん速くなる。海外の情勢で材料の値段も上がっていく——数え上げればきりがありません。

でも、私はこう思うんです。

人手が足りないからこそ、DX(デジタルで仕事のやり方を変えること)は、私たち町工場にとって大きなチャンスになる、と。

だから長村製作所では、製造だけでなく、営業も設計も管理も、会社まるごとで少しずつ仕事のやり方を変えていこうとしています。

やろうとしているのは、こんなことです

むずかしく聞こえるかもしれませんが、中身はシンプルです。

  • 製造の進み具合を、新しいシステムで見えるようにする
  • 機械や溶接の作業を、ロボットの力も借りて自動化していく
  • 在庫の管理や出荷の作業を、もっと楽にする
  • 営業から設計、そして製造へ——バラバラだった情報を、ひとつにつなげる

どれも「誰かをもっと働かせる」ためではありません。一人ひとりが、迷わず、楽に、いい仕事ができるようにするための工夫です。

ところが、大きな壁がありました。それが「通信」です

いざ進めようとして、はっきり見えてきたことがあります。

どれだけいいシステムを入れても、どんなに賢いロボットを置いても、それをつなぐ「通信」が不安定だと、まるで力を発揮できない、ということです。

人間でいえば、頭も体も元気なのに、神経がうまくつながっていない——そんな状態でしょうか。

最初は「これは5Gの出番だな」と考えました。工場向けの本格的な通信「ローカル5G」です。ただ、調べていくうちに、当社の規模ではコストが見合わないと分かりました。ここは正直にお伝えします。背伸びをして高い仕組みを入れても、続かなければ意味がないからです。

だから、うちに合ったやり方で、一歩ずつ

工場の中は、大きな機械やモーター、そして扱っている金属そのものが電波のじゃまをします。だから、ふつうのWi-Fiだけではどうしても不安定になりがちです。

そこで、いっぺんに理想を追うのではなく、身の丈に合った順番で進めていくことにしました。

  • まずは第一弾、Wi-Fiをしっかり整える。 電波が工場のすみずみまで届くよう、置き場所を工夫します。
  • 次に第二弾、sXGP(エスエックスジーピー)という仕組みを入れる。 Wi-Fiだけでは補いきれないところを、途切れにくい専用の通信で支えます。
  • そして機械の進化に合わせて、必要になれば、そのときあらためてローカル5Gも考える。

今のうちに、変えておきたいのです

工場の中では、モーターや金属のせいで、どうしても電波の「ノイズ」がつきまといます。これは避けられません。

それでも、今のように配線だらけの環境を、このまま続けていくのは、正直しんどい。 作業の効率を考えれば、いつかは無理が出てきます。

だからこそ、現場の様子をよく見ながら、あわてず、でも確実に、一歩ずつ通信環境を良くしていきたいと思っています。

これはただの設備の入れ替えではありません。**人が減っていくこれからの時代を、長村製作所がしっかり生き抜いていくための、大事な「土台づくり」**なんです。

急がず、でも止まらず。みなさんと一緒に、進めていければと思います。

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目指す会社の在り方

昨日は、夏の賞与の支給日でした。
当社では、各部門長による評価をもとに賞与額を決定しています。支給された金額を見て、素直に喜んだ人もいれば、「なぜ自分はこの金額なのだろう」「なぜあの人より少ないのだろう」と、複雑な思いを抱いた人もいることでしょう。
賞与は、仕事に対する評価の一つです。しかし、その受け止め方は人それぞれです。子どもの学費に充てる人、家族のために使う人、美味しいものを食べて日頃の疲れを癒やす人もいると思います。それぞれにとって、有意義な使い方をしてもらえればと思います。


会社には、さまざまな役割があります
会社は、社員一人ひとりが生活の糧を得る場所です。同時に、仕事を通じて社会と関わり、自分の力を発揮し、成長していく場所でもあります。
しかし、そこで働く社員の心の中には、さまざまな悩みや葛藤があるはずです。
「この会社はこれからも大丈夫だろうか」
「もっと待遇が良くならないだろうか」
「なぜ自分には、この仕事しか任せてもらえないのだろう」
「上司は、一部の人だけをひいきしているのではないか」
「職場の人たちとうまく打ち解けられない」
「自分は、この会社に受け入れられているのだろうか」
人が集まって働く以上、こうした不安や人間関係の悩みを完全になくすことは難しいのかもしれません。
だからこそ会社には、社員にただ我慢を求めるのではなく、一人ひとりの声に耳を傾け、仕事の進め方や職場環境、評価の仕組みを少しずつ良くしていく責任があります。評価する側も、好き嫌いや目立ち方だけに左右されず、本人の努力、工夫、成果、周囲への貢献をできる限り公平に見なければなりません。


会社という「大きな木」
会社は、よく一本の大きな木にたとえられます。
深く根を張り、丈夫な幹を育て、枝を広げ、毎年実を結ぶ。その木があることで、そこで働く人とその家族の生活が支えられ、お客様や地域社会にも価値を届けることができます。
しかし、木は放っておくだけでは育ちません。
水や肥料を与え、土を整え、ときには枝を剪定し、病気や傷みに早く気づく必要があります。会社も同じです。売上や利益だけでなく、人を育て、設備を整え、働き方を改善し、問題があれば正面から向き合うことが欠かせません。
経営者や管理職だけが木を育てるのでも、社員だけが一方的に支えるのでもありません。それぞれが自分の立場で責任を果たし、力を持ち寄ることで、会社という木は健康に育っていきます。


評価だけを仕事の目的にしない(評価の奴隷にならない)
仕事をしていれば、評価や賞与が気になるのは当然です。より良い評価や待遇を望むことは、決して悪いことではありません。また、評価に疑問があるなら、感情だけで終わらせず、上司と話し合い、何が求められているのかを確認することも大切です。
一方で、上司に評価されることだけが仕事の目的になってしまうと、自分自身が苦しくなります。周囲からどう見られるかばかりを気にして、本来大切にすべき仕事の品質、お客様への責任、仲間との協力、自らの成長が後回しになってしまうからです。
評価は大切ですが、評価がその人のすべてを決めるものではありません。
誰かに見られているから取り組むのではなく、自分の仕事に責任と誇りを持つこと。今より少しでも良い方法を考えること。困っている仲間がいれば力を貸すこと。お客様に喜んでもらえる製品をつくること。こうした日々の積み重ねが、会社を強くし、結果として一人ひとりの成長や待遇の向上にもつながっていきます。


私が皆んなと目指したい長村製作所
私が目指したいのは、評価に不満を持つことを許さない会社でも、会社のためだけに個人が我慢する会社でもありません。
社員が悩みや疑問を率直に伝えられ、会社もそれを受け止め、改善すべきことは改善する。そして社員一人ひとりも、会社を「誰かが何とかしてくれる場所」と考えるのではなく、自分たちでより良くしていく場所として大切にする。そのような関係を築いていきたいと思います。
人間関係で悩んでいる人も、仕事がうまくいかず苦しんでいる人も、上司との関係に迷っている人もいるでしょう。そうした思いを抱えながらも、お互いを認め、支え合い、それぞれの立場でできることを少しずつ積み重ねていく。
会社という大きな木を、経営者も管理職も社員も、みんなで育てていく。
そして、その木がさらに深く根を張り、丈夫な幹を育て、より多くの実を結び、その成果を社員や家族、お客様、地域社会へ還元していく。
そのような人たちの集まりが、長村製作所の目指す在り方であってほしいと思っています。.

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17年経っても心に残る違和感と寒気

このブログを掲載するにあたり読む人によって大きな誤解や不信感を抱く人もいると思い躊躇したのですが、あえてこのテーマを書くことにしました。
これまで私があえて隠していたものです。68歳になりますが今だに人に怯えることもり、それでも社員と共に生きる弱い社長の心の一部だと思い読んでほしいものです。

昨日、フジテレビが俳優の佐藤二朗さんに関する件について報道し、その内容がニュースになっていました。
報道では、セクシュアルハラスメントと認定されたとされる一方で、佐藤さんご本人はSNSで「なぜ一方の話だけで、それを真実だと断定するのか」という趣旨の発信をされていたようです。

このニュースを見たとき、私は17年前の出来事を思い出しました。
当時、私は部下に対してパワーハラスメントをしたと認定されました。しかも、実際には殴っていないにもかかわらず、「殴った」とされたのです。

もちろん、部下には部下の言い分や苦しさがあったのだと思います。
私に対して不満やつらさを抱えていたのかもしれません。そこを否定するつもりはありません。

しかし、私の言い分はほとんど聞いてもらえませんでした。

当時の社長から言われた言葉を、今でも忘れることができません。

「お前がやったかどうかはどうでもいい。訴えられたことが問題なんだ。これ以上否定して、報道機関にでも入ったら会社が潰れるぞ」

私は、本当に私が殴ったというのであれば、それは傷害事件になるはずだから、本人から警察に届けてもらいたいと伝えました。
しかし返ってきた言葉は、

「君は会社を潰したいのか」

というものでした。

結局、私は黙って認めるよう求められ、処分を受けました。
その後、約3年間、閑職のような立場に置かれることになりました。

今振り返ると、訴えた社員自身も、ここまで大きな処分になるとは思っていなかったのかもしれません。
ただ、私のことを良く思っていなかった一部の役員たちが、この件を利用して私を排除したのではないか。
当時の私は、そう感じていました。

今回のニュースを見て、改めて強く感じたことがあります。
それは、「立場が強い」と見られる人間も、深く傷つくことがあるということです。

もちろん、被害を訴える側のつらさは軽く見てはいけません。
しかし一方で、訴えられた側にも言い分があり、人格があり、心があります。

ところが、いったん「加害者」と見なされると、その人の言葉はほとんど聞かれなくなります。
周囲からは、

「日頃の態度を見ると、やりそうだ」
「自覚がないだけだ」
「相手がどう感じたかがすべてだから、あなたに言う権利はない」

といった言葉が投げかけられます。

言っている人たちは、そこまで深く傷つけているつもりはないのかもしれません。
けれども、その言葉は長く心に残ります。
何年経っても、ふとした瞬間に胸を締めつけます。

今回、私の心を一番苦しめたのは、当事者同士の問題そのものではありません。
むしろ、その周りにいる人たちの言葉や態度でした。

「弱い立場の人が嫌だと感じたら、それですべて決まる」
「強い立場の人は、自分で解決するしかない」
「強い人なのだから、多少言われても大丈夫だろう」

そうした空気が、社会の中にあるように感じます。

昨日、家族からも似たようなことを言われました。

「相手がどう思うかがすべて。言われたらそれまでなんだよ」
「父は強いのだから、自分で解決しなければならないんだよ」

その言葉を聞いた瞬間、心の中に冷たいものが広がりました。
17年経っても、私の心はあの時のままだったのだと気づきました。

そういえば、数年前にも似たような出来事があり、その時は言葉が出なくなるほど苦しくなったことがありました。
当時はなぜそこまで苦しくなるのかわかりませんでした。
でも今ならわかります。
私はまだ、あの時の傷を抱えたままだったのだと思います。

私は、誰か一人を責めたいわけではありません。
被害を訴える人の声を軽んじたいわけでもありません。

ただ、「弱いと見なされた側の言葉だけが正義になり、強いと見なされた側の痛みは無視される」ような社会には、強い怖さを感じます。

本当に大切なのは、どちらか一方を最初から正しいと決めつけることではなく、双方の言い分を丁寧に聞くことではないでしょうか。
そして、事実と感情を切り分けながら、冷静に向き合うことではないでしょうか。

今回の当事者のお二人が、周囲の「正義」の声に必要以上に翻弄されないことを願っています。
そして、どちらの立場の人にとっても、時間が経っても消えない傷があるということを、私たちは忘れてはいけないのだと思います。


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合理的なことは全ての理屈と正義を跳ね除ける力になってしまう

「合理的🟰理論的」と長い間思っていた私は、明らかに違うことを孫の行動を見てよく分かりました。孫は自分の想いを叶える為に全力で理屈を超えるパワーで要求してきます。それはある意味、合理的な行動なのです。つたない言葉と多少のズルさをフル活用して私に望みのすべてを打っけてきます。アッパレです。

これに似たような現象が会社の中でも起きます。狭い視野と自分本位の理屈で要求してきます。孫と違うのはその自分の身勝手さをカモフラージュする為に、あたかも正しヅラをして話してきます。年老いた私からみると、そのズルさのうっすペラさが透けて見えてしまい、笑ってしまいます。それをいい歳をした大人がするのです。要求する社員と聞く上司、小劇場の素人芝居です。

理屈が見つからない望みもあるでしょう。ならばせめて3歳の孫のような合理さのほうが精神的に気持ちがいいです。

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