頑張っていますアピールの勝利

この歳になって感じるのは、会社の人事評価では
「頑張っていますアピールが上司に伝わること」が勝敗を分ける
ということです。

このアピールにはいくつか特徴があります。

  • 常に仕事の大変さや辛さを表情に出す
  • 工夫よりも、遅くまで働く姿を見せる
  • 自分の置かれている理不尽な状況を強調する
  • 上司に聞こえるように、見えるように発信する

こうした様子を見ると、NHKの大河ドラマ「豊臣兄弟」を思い出します。
登場人物それぞれが、自分の評価を上げるために独自の戦略を取っていました。

評価する側の人間も興味深いもので、
文句や不満を口にする人の方が評価が高く、何も言わない中堅は低めになる
という傾向が見られます。

それでも会社が回っているのであれば、それはそれでいいのかもしれません。
織田信長も本音ではそこまで評価したくない武将に対しても、
うるさいからと過分な褒美を与えたことがあったかもしれません。
逆に、黙って働く武将には厳しかった可能性もあります。

サッカーのワールドカップでも、ファールを強調してアピールする選手がいます。
見ていて違和感を覚えることもありますが、
人間にとってこうした行動は自然なものなのかもしれません。

ただし不思議なのは、
このアピールは「効く相手」にしか行われないという点です。
つまり、効果があると分かっている相手に対してだけ行われます。
実際、私には誰もこうしたアピールをしてきません。

これはある意味、非常に合理的な行動と言えます。
それでも、どこか納得できない自分がいます。

もし「評価=お金」である以上これが避けられないのなら、
会社としては、
お金とは別の評価軸をつくり、アピールが苦手な真面目な人を救う仕組み
が必要なのではないでしょうか。

さて、最後に一つ問いです。

このような環境の中で、当社で生き残るのは一体どのような人でしょうか。

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こんなに薬💊を飲んでまで

3月に心筋梗塞の手術をして以来9錠の薬を飲む毎日です。今朝は朝イチ家で飲む時間がなく、ポケットに入れたことを忘れていました。午後3時喫茶店でコーヒーを飲む時、ふと思い出しテーブルの上に置いてみました。それにしても飲み過ぎでは。

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頑張っていますアピールの勝利

この歳になって感じるのは会社における人事評価とは常にこの「頑張っていますアピール」が上司に伝わることが勝利のカギのように感じます。

この「頑張っていますアピール」の特徴は
⒈常に仕事の大変さを辛さを表現します。
⒉遅くまで働く特徴があります。
⒊自分の置かれている状況の不利さの表現強調。
⒋ここが大事で直接上司アピールする。

そういえばNHKの大河ドラマの「豊臣兄弟」を思い出します。
それぞれ自分の評価を上げるためにそれぞれがオリジナル作戦です。
評価する人間も面白いもので「文句、不満を言うものの評価が高く」「何も言わない中堅どころは低め」という傾向がみられます。

それでもこれで会社が回っているのであればそれはそれで良いのかもしれません。
織田信長もおそらく、各武将の評価も本当はそんなに評価したくはないが、うるさいからなと
過分な褒美を上げた武将もいたでしょう。いつも黙々と働く武将には厳しい面もあったかもしれません。
さて最後に当社で生き残れるのは誰でしょう?

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誰もが持っている倫理観と誇り

かなり昔の映画になりますが、トム・クルーズ主演の『A Few Good Men』という作品があります。

物語は、アメリカ海兵隊の基地で起きた事件をめぐる裁判です。ある隊員が規律を乱したとされ、上官の命令によって2名の隊員が制裁を加えます。しかし、その隊員はその後、命を落としてしまいます。制裁を実行した2名の隊員は裁判にかけられ、その弁護士をトム・クルーズが演じています。裁判の中で明らかになっていくのは、「命令だったから仕方がない」という考え方と、「人として守るべきものは何か」という問いです。軍隊という組織では、上官の命令に従うことがとても重く扱われます。しかし同時に、弱い立場の人を守るという大切な考え方もあります。結局、2名の隊員は殺人については無罪となりますが、軍人として守るべき規律に反したとして、不名誉除隊となります。彼らにとっては納得しがたい結果だったと思いますが、この場面はとても考えさせられます。本当に守るべきだったものは、命令そのものではなく、人としての正しさだったのではないかと思うのです。

この映画を思い出すのは、会社の中でも似たような場面があるからです。上司の指示だから、会社の方針だから、昔からそうしているから。そうした言葉の前で、自分の考えをいったん脇に置いてしまうことは、誰にでもあるのかもしれません。もちろん、組織で働く以上、指示やルールは大切です。勝手な判断ばかりでは、会社は成り立ちません。しかし、それでも最後に必要なのは、自分の頭で考えることだと思います。その行動は、本当に仲間のためになるのか。会社のためになるのか。お客様や取引先のためになるのか。そして何より、人として胸を張れることなのか。こうした問いを持ち続けることが、働くうえでとても大切なのではないでしょうか。私自身も、社員一人ひとりが自分の倫理観と誇りを大切にしながら働ける会社でありたいと思っています。そのためには、指示を出す側も、受ける側も、「本当にこれでよいのか」と考える余白を持つことが必要です。正しさを強く主張することよりも、相手の立場や周囲への影響を考えながら、より良い判断を探していく。その積み重ねが、会社を健全にし、社員を幸せにしていくのだと思います。誰もが心の中に、自分なりの倫理観と誇りを持っています。それを押し殺すのではなく、仕事の中で大切にできる会社でありたい。そんなことを、改めて考えさせられる映画でした。

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「無神経な人」の対処法

「話が通じない人」とは別に「無神経な人」もいます。どちらの人も寿命を縮める人に変わりありません。このような人から受けるストレスは明らかにNK細胞を力を弱め、数量を減らします。つまりガンになるリスクが大幅に増加するのです。がん細胞は健康な人間いも毎日体内に発生します。そのがん細胞の芽を摘むのがNK細胞の役割です。

更にこの手の人との関係はうつ病の発生も増加させます。ちなみにうつ病の発生とがんの発しようはリンクしています。

その状態の対処法として、アドラー心理学の「課題の分離」という方法があります。つまりその事象は「誰の課題なのか?」
こちらから相手にどのように伝えるかという課題は自分の課題ですが、伝えた後、相手がどうのように受け止めるかは相手の課題だということです。
つい私たちは「なんとかわかってもらおう」と焦ります。焦れば焦るほどこちらのストレスが増加します。
そこで、「相手がどう思うかは相手の課題」と切り分けておけば、背負わなくいい荷物を手放すことができます。

仕事をする上で多くの「無神経な人」に出逢います。そしてその人から離れることができないかもしれません。その時どうするのかが大事です。このアドラーの方法も1つではないでしょうか?

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不毛な対話に終止符を打つ

仕事をしていると、社員や取引先の方々と話をする機会がたくさんあります。

その中で、「あの人とは話が通じない」と感じる場面に出会うことがあります。では、なぜそのようなことが起きるのでしょうか。

おそらく原因の一つは、「自分が正しい」という思いが強すぎることにあります。そうなると、話し合いの論点は「良いか悪いか」「誰が悪いか」という方向に向かってしまいます。

しかし、商談や交渉において本当に大切なのは、相手を言い負かすことではありません。共通の目的に向かって、どうすればより良い結果を生み出せるかを考えることです。

ここで改めて、経営とは何かを考えてみます。経営とは、価値創造を通じて、他者と自分を同時に幸せにすることだと思います。その目的に向かって、中間目標や手段、その意義や有効性を問い直し、目的の実現を妨げる対立を解消しながら、豊かな共同体をつくっていくことです。

一方で、話が通じにくい人は、自分だけが正しいと思い込み、相手と共に価値を生み出すことよりも、自分の考えや利益を優先してしまうことがあります。そうなると、対話はかみ合わなくなります。

だからこそ、まず大切なのは「共通の目的を確認すること」です。ただし、これは簡単なことではありません。伝え方を間違えると、相手のプライドを傷つけてしまうこともあります。

相手も本気で、自分の考えが一番正しいと思っているからです。

自分も相手も経営でいう価値創造という共通の目的があったときに話は通じるのかもしれません。つまり相手も自分も共に幸せになるという一点です。それができないならば「あいつのは話が通じない」で終始するということです。

それでも、自分も相手も「価値創造」という共通の目的に立ち戻ることができれば、対話は前に進むはずです。つまり、相手も自分も共に幸せになるという一点を共有できるかどうかです。それができなければ、結局は「あの人とは話が通じない」という不毛な関係で終わってしまいます。

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不毛な対話に終止符を打つ

仕事をしていると、社員や取引先の方々と話をする機会がたくさんあります。

その中で、「あの人とは話が通じない」と感じる場面に出会うことがあります。では、なぜそのようなことが起きるのでしょうか。

おそらく原因の一つは、「自分が正しい」という思いが強すぎることにあります。そうなると、話し合いの論点は「良いか悪いか」「誰が悪いか」という方向に向かってしまいます。

しかし、商談や交渉において本当に大切なのは、相手を言い負かすことではありません。共通の目的に向かって、どうすればより良い結果を生み出せるかを考えることです。

ここで改めて、経営とは何かを考えてみます。経営とは、価値創造を通じて、他者と自分を同時に幸せにすることだと思います。その目的に向かって、中間目標や手段、その意義や有効性を問い直し、目的の実現を妨げる対立を解消しながら、豊かな共同体をつくっていくことです。

一方で、話が通じにくい人は、自分だけが正しいと思い込み、相手と共に価値を生み出すことよりも、自分の考えや利益を優先してしまうことがあります。そうなると、対話はかみ合わなくなります。

だからこそ、まず大切なのは「共通の目的を確認すること」です。ただし、これは簡単なことではありません。伝え方を間違えると、相手のプライドを傷つけてしまうこともあります。

相手も本気で、自分の考えが一番正しいと思っているからです。

自分も相手も経営でいう価値創造という共通の目的があったときに話は通じるのかもしれません。つまり相手も自分も共に幸せになるという一点です。それができないならば「あいつのは話が通じない」で終始するということです。

それでも、自分も相手も「価値創造」という共通の目的に立ち戻ることができれば、対話は前に進むはずです。つまり、相手も自分も共に幸せになるという一点を共有できるかどうかです。それができなければ、結局は「あの人とは話が通じない」という不毛な関係で終わってしまいます。

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簡単に実行できない社会の悲劇

2月の総選挙では、食料品の消費税を2年間廃止するという公約が掲げられていました。
しかし最近は、その話がなぜか「1%」という形に変わりつつあります。

いったい、決めたことをすぐに実行できないこの国の仕組みは、どうなっているのでしょうか。


明治政府は、藩を廃止し、武士制度をなくしました。
今から160年前の話です。

現代の日本で同じことができるかと言えば、正直難しいでしょう。
なにせ、税率を少し変えることすら時間がかかるのですから。


とはいえ、消費税の話そのものは本質ではありません。
問題は、日本人の「物の考え方」にあるのではないかと思います。

この傾向は、会社の中でもよく見られます。

「変えたい」と言いながら、なかなか変わらない。
時間ばかりがかかっていく。

私はいつも疑問に思います。
本当に変えたいのでしょうか?

おそらく、多くの人は「変えたい」と言いながら、
本心では「変えたくない」のだと思います。
ただ、それを口に出せないだけなのです。


江戸時代、薩摩藩に「示現流」という武道が伝わっていました。
1日に1000回以上の打ち込みを行い、心と体を徹底的に鍛えるものです。

西郷隆盛もこれを学びました。
そのような人物たちが、明治政府をつくったのです。


変化を起こすためには、強い覚悟と健全な精神が必要です。

もしかすると現代の私たちは、
その「覚悟」や「精神力」を失っているのかもしれません。


ちなみに、薩摩藩の武士道にはこんな教えがあったそうです。

弱い人を助けない者は、生きる価値がない。

どれだけ力があっても、
どれだけ頭が良くても、
どれだけお金を持っていても、

この精神に反するならば、それは許されない。
それほどまでに厳しい価値観を持っていたのです。


いま私たちに問われているのは、
制度や仕組み以前に、

本当に変わる覚悟があるのか

ということなのかもしれません。

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心の声が飛び込んでくる。

最近、人と話していると、相手が本当に言いたいことが途中で分かってしまうように感じることがあります。

年齢のせいなのか、精神的に少し敏感になっているのかは分かりません。ただ、会話の途中で「ああ、この人は本当はこう言いたいのだな」と、先回りして受け取ってしまうことが増えたように思います。

もちろん、相手の心の声が本当に聞こえているわけではありません。それでも、話し方や間の取り方、言葉の選び方から、相手が遠回しに伝えようとしていることが見えてくる時があります。

そうなると、話を最後まで聞く前に、自分の中ではある程度の結論が出てしまいます。けれど、それを表に出してしまうと相手に失礼です。だから、分かっていても分からないふりをしながら、最後まで話を聞くようにしています。

以前、テレビで「人の心の声が聞こえてしまう主人公」のドラマを見たことがあります。物語の中では少し不思議な力として描かれていましたが、本人にとっては決して楽なことではありません。

相手が言葉にしていないことまで感じ取ってしまうと、かえって気を使いすぎてしまいます。言いたいけれど言えない。伝えたいけれど、相手に申し訳なくて遠回しになる。そんな気持ちが見えてしまうからです。

考えてみれば、人は必ずしも本音をそのまま言葉にできるわけではありません。立場や関係性、相手への配慮があるからこそ、まわりくどい言い方になることもあります。

だからこそ、言葉だけを聞くのではなく、その奥にある気持ちを想像することが大切なのだと思います。

もしかすると、AIもこれに近い仕組みで動いているのかもしれません。人が入力した言葉の先にある意図を読み取り、次に何を求めているのかを予測する。もちろん人間の心を理解しているわけではありませんが、言葉の流れから先を読むという意味では、少し似ているようにも感じます。

相手の心の声が本当に聞こえるはずはありません。それでも、長く人と関わってきた経験が積み重なると、言葉にされていない気持ちを感じ取る力が少しずつ身についてくるのかもしれません。

無駄にしない防衛本能なのかもしれません。

それは、年齢を重ねたことで備わった感覚なのかもしれませんし、限られた時間を無駄にしないための防衛本能なのかもしれません。いずれにしても大切なのは、先回りして決めつけることではなく、相手の言葉を最後まで聞くこと。分かったつもりにならず、相手の気持ちに丁寧に向き合うことなのだと思います。

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映画「運び屋」

これは、クリント・イーストウッド主演の映画『運び屋』にちなんだ表題です。この映画が撮影された時、彼は88歳でした。
88歳でなお主役を演じる。その姿だけでも十分に驚かされますが、この映画を観ていると、単に「高齢でも元気だ」という話では終わらない、年齢を重ねた人間の哀しさや強さ、そして誇りのようなものを感じます。

映画の中で彼が演じるのは、妻や家族から距離を置かれてしまった一人の高齢男性です。若い頃は仕事に打ち込み、外では評価されてきたのかもしれません。しかし、その一方で家族との時間を失い、気がつけば大切な人たちから心を閉ざされてしまっている。
そんな彼の仕事は「運び屋」です。マフィアから、人には言えないような荷物を預かり、ただ目的地まで運ぶ。荷物の中身を見てはいけない。理由も聞かない。ただ車を走らせるだけです。若い悪い連中は彼を馬鹿にしながらも、その仕事を彼に任せます。

映画の中で、彼はスマホを渡されても使い方が分かりません。それでも周囲には強がって見せます。拳銃を突きつけられても、「俺は戦争に行ったんだぞ」と若いマフィアをたしなめます。
その姿は滑稽にも見えますが、どこか胸に迫るものがあります。時代についていけない自分を分かっていながら、それでも簡単には弱さを見せない。古い人間なりの意地があり、経験してきた人生への自負もあるのです。
しかし本当は、家族から言われたことを気にしています。平気なふりをしていても、心の奥では傷ついている。運び屋として砂漠を走っている時、彼は大きな声で歌を口ずさみます。その歌声には、自由さと寂しさが同居しているように感じます。
私も朝一番で工場へ向かう時、窓を開けて大声で歌うことがあります。そんな時、この『運び屋』の映画を思い出します。まるでアメリカのハイウェーを走っているような気分になるのです。仕事のメールでExcelシートを添付したつもりが、実際には添付されていなかった。若い社員に注意される。話している内容が聞き取りにくくなり、「耳が悪くなったのですか」と言われる。そんな場面で、私は88歳で映画に出演していたクリント・イーストウッドの姿を思い出します。
何も言い返せません。なぜなら、その通りだからです。できていたことが、少しずつできなくなる。分かっていたはずのことを忘れる。若い人にとっては当たり前のことが、自分には少しずつ難しくなっていく。歳を取るとは、そういう現実と向き合うことなのかもしれません。
けれども、そこに人間の価値がなくなるわけではありません。速くできない、正確にできない、新しい道具にすぐ対応できない。だからといって、その人が歩んできた時間や、積み重ねてきた経験まで消えるわけではないのです。
年齢を重ねて働くということは、自分の衰えを受け入れながら、それでもなお、自分の役割を探し続けることなのかもしれません。そして周りの人たちもまた、その姿をどう受け止めるのかを問われているのだと思います。
人は、できることが減っていく中で、どのように人格や誇りを保っていくのでしょうか。働き続けるとは何なのか。年齢を重ねるとは何なのか。
さて、この映画『運び屋』の結末はどうなるのでしょうか。

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