最近は同一労働同一賃金の話がでませんが、基本同じ仕事ならば同じ賃金を支払うという基本的な考えからきているのでしょう。
その理屈から言えば、この地球で聞きている限り、若かろうが年寄りだろうが生きるコストは同じです。そう考えると責任も同じように負担すべきのはず。
働き能力(知力・体力)があるのであれば歳をとっていても同じように働き、社会的負担を果たすのが道理のはず。
年齢が60歳になったから65歳になったから70歳になったからは、全く関係はないのです。ならば同じ土俵で生きるべきです。
そこで提案ですが年配者自身が自らこの優遇制度を放棄すべきです。
ちなみに体力が弱ったり知力が衰えるた人はどうなのかですが、これは弱者です。その弱い人には社会のセーフティーネットをかけるべきです。
つまり年齢で分けるべきではないのでしょう。
最近当社の工場の応援をしていて思うのですが、私も社員に甘えず、若い人と同じように働く働くべきとです。体が痛いだの思うように動かないなど弱音など言っている場合ではないのです。つまりそんなことを言っているような人間は社会からフェードアウトすべきなのです。
ならばフェードアウトした人間はどうなるのか、それは簡単です。社会が作った枠の中で生きるしかないのです。私もいつかそうなるでしょう。それはしょうがないことなんです。そういえば昔、我が家にも隠居部屋(一軒家)が離れにありました。あれは明らかに現役世代と区別するための仕組みだったのでしょう。だから祖父さんは父に何も言いません、ただ家の庭木の手入れと嫁いだ娘の家に定期的に訪問をし、更に夜にはマメに漢文を書きの生活でした。
何も町や国からの支援も受けずに一生を終えました。
つまり、祖父は現役世代を生き、余生も自分の力だけで生きる術を持ち過ごしたのです。
若い現役世代に負担をかけずに、社会に甘え、自分に甘え生きることが少しでもなくなるように生きる術の原点は、自分のことは自分で行い、できなくなった時には少しでも周りの負担を減らし生きることが肝要なのかもしれません。
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