コミニュケーションにこだわる社会のうすべらさ

よく会社でも学校でも人と人の意思疎通は大切だからコミニュケーションを大事にしようとか、コミニュケーション能力の重要性を発言する人がいますが、それて本当なのとよく思います。

これまで生きてき思うのは、意外に話しが通じない人は沢山いるということです。分かってもらうために一生懸命になり、時には苦しみ悩んでいる人が沢山います。更に言えば、何でも言葉で確認し合う人間関係て息苦しくないんだろうか?
私は話しが通じない人は意外に沢山いるような気がします。


そういえば、私が小さい頃には近所にも親戚にも気が合わない人がいて、父親がよく晩酌しながら文句を言っていた記憶があります。それでも親父は「この人とは価値観が違うから付き合わない」なんてことは言っていませんでした。多分、好き嫌いとは別に、折り合いを付ける知恵があったのかもしれません。多分そうじゃないと村社会では生きられないことを知っていたのかもしれません。
人間なんてそんな立派なものじゃないのです。いくら理屈をまくし立て、正義を振りかざしたところで、通じないものは通じません。


現代ではそれが会社の中に置き換えられます。部下やあるいは他部署の上司に関して正論を言う人をよく見かけます。時々ボロクソに言う人もいます。「会社辞めて貰うべきだ。」とか「部署を変えるべきだ。」とか。
そんな時思います、「あなたはそんなに偉いのか」と思わず感じてしまいます。むしろ、「人には話が通じないことが当たり前だ」と考えたほうが、人間関係はずっとスムーズになるのではないでしょうか。

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喫茶店が様変わり

先日、ふと思い出したことがあります。

今から約50年ほど前、池袋のロマンス通り入口の角に「紫煙」という喫茶店がありました。店内は薄暗く、入った瞬間にタバコの煙と独特の香りが漂ってきます。何色だったのか分からないほど年季の入ったソファに腰を下ろし、コーヒーを注文する。記憶では、サイフォンで丁寧に淹れていたように思います。

そこにいる学生たちは、文庫本を片手に缶ピースをくゆらせ、どこか気取った雰囲気をまとっていました。今思えば、それも時代の風景だったのでしょう。

それに比べると、最近の喫茶店はずいぶん様変わりしました。明るく開放的で、ガラス張りの店内は清潔感にあふれています。もちろんタバコの臭いもしません。

店内を見渡すと女性客が多く、昔のようなおじさんの姿はあまり見かけません。文庫本を読んでいる人も少なく、多くの人はスマートフォンを眺めています。その一方で、朝の時間帯には意外にもおじいさん、おばあさんの姿をよく目にします。

年を重ねたせいなのか、それとも単なるノスタルジーなのかもしれませんが、最近の喫茶店にはどうも心が惹かれません。

そういえば、10年以上前に旭川で入った昔ながらの喫茶店を思い出します。木の床は歩くたびにギシギシと音を立て、店主は気さくなおばちゃん。少し薄暗く、まるで穴倉のような落ち着く空間でした。おそらく今はもう営業していないのではないかと思います。

私としては、街のどこかに一軒くらい、そんな昔ながらの喫茶店が残っていてほしいものです。気取るわけでもなく、静かにコーヒーを飲みながら考え事ができるような場所です。

しかし考えてみると、様変わりした喫茶店とは対照的に、私たちの工場は今でもどこか昔の雰囲気を残しています。

もちろん、長年積み重ねてきた技術や職人気質は当社の強みです。ただ、時代が変わり、社会が変わり、お客様の求めるものも変わり続けています。その変化に合わせて、工場も少しずつ姿を変えていかなければならないのでしょう。

そして何より、変わるべきなのは工場だけではないのかもしれません。

もしかすると、一番様変わりしなければならないのは社長である私自身なのかもしれませんね。

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人の不幸は、お金になる社会

先週、あるトラブルの解決を依頼するため、弁護士に会ってきました。念のため申し添えておくと、社内の問題ではありません。

そして昨日は、情報セキュリティに関するセミナーを受講しました。経済産業省が進める「SCS評価制度」に、企業としてどのように向き合うべきかを考えるためです。近年の企業に対するサイバー攻撃を見ていると、情報セキュリティは、もはや「対岸の火事」とはいえません。
特に注意しなければならないのは、大企業そのものだけでなく、その子会社や取引先など、サプライチェーンの一部を担う企業が攻撃の入り口として狙われる可能性があることです。私たちのような中小企業も、決して無関係ではありません。

ところが、私の身近な人たちを見ていると、
「自分の周りに悪い人はいない」
「自分の会社が狙われるはずはない」
と、どこかで信じ切っているように感じることがあります。

もちろん、人を信じることは大切です。しかし、善意を前提にすることと、危険に備えないことは別の問題です。悪意のある相手が、いつ、どこから、どのような方法で近づいてくるのかは分かりません。

そんなことを考えているうちに、ふと頭に浮かんだのが、
「人の不幸は、お金になる社会」
という言葉でした。

弁護士は、トラブルを抱えた人の問題を解決することで対価を得ます。

医師は、病気やけがに苦しむ人を治療することで対価を得ます。

美容医療の世界では、容姿に対する悩みや劣等感に解決策を提示することで、ビジネスが成り立っています。ただし、その過程で必要以上に不安を刺激していないかは、慎重に見なければならないと思います。

情報セキュリティ関連の企業も、情報漏洩やサイバー攻撃の被害事例を社会に伝え、企業の危機意識を高めることで、自社の製品やサービスの必要性を訴えています。

保険会社も同じです。
「病気になったらどうするのか」
「がんになったら家族の生活はどうなるのか」
「将来、十分なお金がなかったら大変ではないか」
そのような不安に備える仕組みを提供し、対価を得ています。

ちなみに、何度も病気を経験した私自身は、日本には公的医療保険や高額療養費制度があるため、民間の医療保険が本当に必要なのかは、一人ひとりの生活状況や資産、家族構成によって冷静に考えるべきだと思っています。

もちろん、民間保険が必要な人もいます。ここでは医療保険そのものを否定したいわけではありません。

改めて考えてみると、私たちの社会には、人が抱える病気、トラブル、劣等感、恐怖、将来への不安を解決することで成り立っている仕事が数多くあります。

これを単純に、
「人の不幸を飯の種にしている」
と決めつけてしまうのは、少し乱暴かもしれません。
実際に、弁護士や医師、セキュリティ企業、保険会社の存在によって、多くの人や企業が救われていることも事実です。問題は、不幸を解決することによって対価を得ることではありません。

私が気になるのは、必要な危険を正しく伝えることと、必要以上に不安をあおることの境界です。

本当に困っている人を助けるための仕事なのか。
それとも、人の不安を大きくして商品やサービスを売る仕事になっていないか。
この違いは、とても大きいと思います。

考えてみれば、これらの仕事にとって、

  • 悪意のある人
  • 病気やけが
  • 容姿に関する悩み
  • 将来への不安
  • 情報漏洩やサイバー攻撃

は、解決すべき社会課題であると同時に、仕事が生まれる理由でもあります。

なくなってほしいと願いながら、それが完全になくなれば仕事も減ってしまう――。そこには、少し複雑な構造があります。

しかも、こうした分野で働く人の中には、高い専門性と責任を求められるため、高い収入を得る人もいます。そして、弁護士や医師は「先生」と呼ばれます。

「先生」と呼ばれる職業には、政治家もいます。
では、政治家は、国民が抱えるどのような苦しみや不安を解決するために存在しているのでしょうか。

生活への不安、老後への不安、仕事を失う不安、子育てへの不安、安全保障への不安――。政治もまた、国民が抱えるさまざまな問題を解決することによって、その存在意義を認められる仕事なのかもしれません。

しかし、ここにも同じ問いが残ります。
不安を解決しようとしているのか。
それとも、不安を利用して自らの必要性を訴えているのか。

これは政治家だけの問題ではありません。企業経営者にも、専門家にも、そして情報を発信する私たち自身にも当てはまることです。

危険を伝えることは必要です。しかし、恐怖を過度にあおってはいけません。

不安を商売にするのではなく、正しい情報と現実的な対策を示し、人や企業が安心して前に進めるようにする。

それこそが、専門家や企業、そして政治に求められる本来の役割なのではないでしょうか。

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