私の子供時代の昭和30年代から40年代とにかく汚れて遊んでいました。服は土まみれ、常に地面に絵を描いて遊んでいたので手は土まみれ。母からは手を洗うように言われましたが水で流すだけ。ほとんど食事前に手を洗った記憶がありません。よく病気にもならず更に水は井戸水です。不思議に元気でした。
それが今では手を毎日洗います、それも石鹸をつけて。
そういえば子供の時はお風呂には石鹸しかありません。それも固形の、今のような液体ではありません。
私の記憶が確かならば今のように政治家や芸能人の不倫問題などTVでの報道はありませんでした。確か民社党の春日一幸という委員長には3人の愛人がいて、奥さんと3人の愛人が一緒に選挙運動をしてい事がニュースになっていました(微笑ましい内容だった気がします)。
多分、田中角栄の愛人も出ていたような気がします。でもとりわけそれを問題にする報道もなく政治が停滞することもありません。
今回イランの最高指導者が殺害されましたが、国民の半数以上は喜んでいるとのニュースもあります。宗教的原理主義者の唱えることは時として人間の自然な営みを阻害しがちです。
それは生きやすくないのです。正しいことをしっかり守らないと人間はダメになる。人間は弱いからタガを嵌めないとダメになるのが理由なのでしょう。
イランでももっといえばイスラム教の人達も所詮は人間です。そういえば40年ぐらい前に練馬の上石神井に住んでいた時に知り合ったイラン人がいました。彼は夜な夜な酒も飲んでいました。エッチなビデオも売っていました。そんな彼に聞いたことがあります、「宗教的にそれダメなんじゃないの?」彼曰く、そりゃ建前上はそうだけで祖国でも皆んなしているよ、飯山さん人間は皆んな同じだよ国が違っても。と言われました。
おそらく清潔な生活空間は必要です。道徳心も必要です。紛れもなくそれは人間が生きて行くの必要なことですが、私たちはただの人間です。手を洗わずにご飯を食べる時もあるでしょう。たまにお風呂に入らずに眠ることもあるでしょう。結婚している人を好きになることもあるでしょう。それは人だからです。でもそれをどうするのかは自分の問題です。少なくとも家族や友人に迷惑をかけるのはダメですが、他人にとやかく言われるものではありません。ましてや政治やあるいは公の報道を使って、あたかも正義のように「それはいけないこと」と言って糾弾することなのでしょうか?
イランの最高指導者達はデモをする国民を1月に3万人以上も殺害し、更には今回のアメリカ・イスラエルの攻撃で多数の国民が死んだこと、自分達の責任だと思わないのならば、明らかに自分達の都合のいい権力を手に入れるためのもので、これは宗教とも呼べにないものです。本来命を救うのが宗教のはず。
つまり自分達の既得権を維持するためにの原理主義などおかしい。人の命をなんだと思っていのでしょう。
アメリカ・イスラエルの軍事行動が正しいとも思いません。しかしなぜそうしたのか正確に我々は知る必要があります。国際法違反などと叫んでいる場合じゃなく、そうなったことの原因をみんなが知ることです。ただ正しさを叫ぶ人間は間違いなく疑いましょう。
そう考えると日本のお坊さんはスナックびたりでも、少なくとも人間の命は奪いません。真っ当です。
清潔さや道徳心は間違いなく必要です。法律も必要です。でもそれを振りかざした人間が現れたときは「胡散臭い」と疑っていた方が正しいかもしれません。

ブログ村のランキングに参加しています。よろしければこちらのボタンをクリックお願いします。