生きること、学ぶことの不自由な社会に何も感じな日本人

先週、マレーシアから一カ月ぶりに語学研修から帰ってきた息子から聞いた話が興味深いものでした。

同じ教室に通うシンガポール出身の高校生の話です。
彼は日本の東大かハーバードかシンガポール大学に進学することを希望しているそうです。そこで英語を学ぶために息子と同じ語学学校に通うているそうです。本来は高校に朝から通うべきところ、彼は高校に相談して、午前中語学学校、午後高校に通うそうです。
日本の高校ではありえないような話です。しっかり自分の考えをもって行動する17歳、それを寛容に受け入れる高校側、おそらく社会全体がそうなのかもしれません。

日本では不登校を大きな社会問題と捉えたり、あるいは親の問題にしたりします。
簡単に言えば学校に行かないだけのことです。ですが日本ではレールから外れたらなどと大騒ぎ。

いつからこのような画一的な社会を作り出してしまったのでしょう。
それは会社における仕事の仕方に対しても同じことが発生します。
なんと自由度がない社会なんでしょう。
おそらくこれは
「学校の成績が良く、先生のいうことを聞く」そんな子供たちにとって好都合の社会なのでしょう。つまり勉強ができないんだから「俺のような会社に入れない」「お前はその程度の会社にしか入社できない」という、非論理的言い分が通ってしまうのです。この社会はそんな人たちの為に作られています。

学ぶことは自由であり、生きることも自由です。別に大きな家に住むことやお金が沢山あることばかりが得なわけではありません。マスコミも学校も政治も全て自分たちが得するような画一した社会からみんなが踏み出せることを期待したいです。世界はもっと自由に皆生きようとしています。

にほんブログ村 経営ブログ 中小企業社長へ
ブログ村のランキングに参加しています。よろしければこちらのボタンをクリックお願いします。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です