伝統

写真は北陸新幹線加賀温泉駅構内にある九谷焼の大皿です。直径2mを超える焼き物です。伝統工芸品ですが時間、時代の変化に合わせ工芸家は常に現状とそして己に立ち向かい進んできたからこそ、今も輝き続けているのでしょう。

当社も今年3名の方々が定年を迎えました。それぞれの皆さんか今大きな変化に戸惑い進路に苦慮されているのでしょう。
会社というのはある意味、村社会です。働いて給与を手に入れる場所ではありますが、この集合体は生きる上で「心の拠り所」としてのセイフティネットの役割を果たしてくれています。働いている時には気が付きませんが、意外にこの機能が重要な役割なのかもしれません。

60歳になって考えるのです。
本来人間は一人であること。その基礎の上に働くことの伝統が身を覆うのです。
伝統、社風に甘えず、常に改良・革新を重ねることが大切です。
我が社は九谷焼ほどの歴史もありませんが、それでも今を生きる同じ世代として有名にはなれなくても社員が誇れるような伝統を作り上げたいと思います。

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甘えない年長者で生きる大切さ。

一昨日お昼を食べた下板橋駅前天心(町中華)のご主人はどう見ても80歳ぐらいです。今だに中華鍋を振って一日中立ち仕事で頑張っています。

人間歳をとると体力も弱るし痛い所もでます。当然です、死に近づいているのですからしょうがないのです。それでもそれは社会のせいでも誰のせいでもありません。自分の問題です。
それを全部受け入れて生きるしかないのです。

歳をとったことで少しでも仕事の負担を減らしてもらったり、社会的責任負担を減らしてもらったりすることは、生命として生きる上ではフェアではないのです。
自分のことは自分でする。これこそが生きる上で年齢関係なく基本なんです。

いつから日本人の年寄りはこんなに身勝手で甘えん坊になったのでしょう。年金が少ないやら、社会の制度が悪いやら、政治が悪いやら、もし生きていく上で支障があるのであれば、それは自分が悪いのです。今の社会が悪いと言うのならそれは全て我々世代に責任があります。

前に日本ミツバチの話をしましたが、ススメバチと戦う蜂は全ておばあちゃん蜂です。残り寿命の少ない年寄りが立ち向かいます。若い蜂を温存する為です。
なぜか人間だけが若者を全面に出し戦わせ死ぬのです。そして年寄りが生き残るのです。
不謹慎な話ですが非常に非合理的です。

おそらく選挙目当ての政治家が年寄りの票が欲しくて、年寄り向きの話をするからです。私のような年寄りは馬鹿だからまんまとその罠にハマります。そいて我が息子世代が犠牲になるのです。

人のことは私にはどうすることもできませんが、少なくとも私自身は息子世代と同じように働き、同じように生活したと思います。動作が遅ければ時間をかけてでも業務は完了させる。いつかオムツをする時には自分で代えます。ご飯も自分で作ります。
そして可能な限り最後まで、年寄りを理由にしてズルく生きないようにしたいです。

工場は今日も多くの社員が頑張って働いてくれています。彼らの頑張りに恥じないように私も精一杯同じように働きます。

そしていつか私達世代の一人でも多くがこの考えに賛同してくれることを期待します。

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年配者優遇制度の廃止が必要

最近は同一労働同一賃金の話がでませんが、基本同じ仕事ならば同じ賃金を支払うという基本的な考えからきているのでしょう。

その理屈から言えば、この地球で聞きている限り、若かろうが年寄りだろうが生きるコストは同じです。そう考えると責任も同じように負担すべきのはず。

働き能力(知力・体力)があるのであれば歳をとっていても同じように働き、社会的負担を果たすのが道理のはず。
年齢が60歳になったから65歳になったから70歳になったからは、全く関係はないのです。ならば同じ土俵で生きるべきです。
そこで提案ですが年配者自身が自らこの優遇制度を放棄すべきです。

ちなみに体力が弱ったり知力が衰えるた人はどうなのかですが、これは弱者です。その弱い人には社会のセーフティーネットをかけるべきです。
つまり年齢で分けるべきではないのでしょう。

最近当社の工場の応援をしていて思うのですが、私も社員に甘えず、若い人と同じように働く働くべきとです。体が痛いだの思うように動かないなど弱音など言っている場合ではないのです。つまりそんなことを言っているような人間は社会からフェードアウトすべきなのです。

ならばフェードアウトした人間はどうなるのか、それは簡単です。社会が作った枠の中で生きるしかないのです。私もいつかそうなるでしょう。それはしょうがないことなんです。そういえば昔、我が家にも隠居部屋(一軒家)が離れにありました。あれは明らかに現役世代と区別するための仕組みだったのでしょう。だから祖父さんは父に何も言いません、ただ家の庭木の手入れと嫁いだ娘の家に定期的に訪問をし、更に夜にはマメに漢文を書きの生活でした。
何も町や国からの支援も受けずに一生を終えました。
つまり、祖父は現役世代を生き、余生も自分の力だけで生きる術を持ち過ごしたのです。

若い現役世代に負担をかけずに、社会に甘え、自分に甘え生きることが少しでもなくなるように生きる術の原点は、自分のことは自分で行い、できなくなった時には少しでも周りの負担を減らし生きることが肝要なのかもしれません。

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学ぶとは?

8月は終戦記念日から80年ということもあり、戦争に関してのことが多く報道されていました。過去に学ぶとは?

なぜ戦争は起きるのか?ロシアでは10万人以上の人間が亡くなっています。この10万に命をかけてものの正義はあるのか?そう思わない人間が大勢いるのです。おそらくこのウクライナ・ロシアの戦争もいつかは収束するでしょうが、学ぶことなく次世代につながり、いつしかまた戦争を行うのかもしれません。
人の命は地球より重いと言った人がいますが、少なくと10万にでも重くはないのかもしれません。

戦争だけではなく、仕事も同じです。過去を学ぶことが大切です。この過去を学ぶことが全ての始まりなのでしょう。人は同じ過ちを何度も繰り返しています、その都度ゼロからのスタートです。

これは学校教育の弊害なんでしょう。必ず振り返りをし、どこに問題があったのか、そしてなぜそのような行動をしてしまうのかを検証する癖をつけるべきです。そしてそれは教員その本が持つべき資質なのです。

よく会社でPDCAが議題になります。ほとんどの職場が出来ていません。本来PDCAは学校で学ばせるべき行動パターンです。そうしない限り大人になってからでは中々身に付きません。
そんな人間を作り出し社会に放り投げる教員たちは何を学んでいるのでしょうか?

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こんな光景が日常化して欲しい。

私達の会社はお陰様で生産が間に合わない位大忙しです。各部門から応援をいただいています。土日も応援してもらっています。

今後は間接部門の社員も業務の空いた時間1時間でも製造現場に応援にきて作業を皆で行えるような会社になっていきたい思える光景でした。

それにしても製造現場の社員の皆には毎日作業をしてもらい本当に感謝です。この土日の2日間私も作業をしましたが、久しぶりに疲れました。また一日中の立ちは日頃の鍛錬のなさを痛感しました。67歳今だ健在を示すためにもこれからも現場にでて皆で作り続けたいと思います。現場に出れなくなった時がここを去る日かもしれません。

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下板橋駅そばにある中華屋さん。

ラーメン400円、半チャーハン250円、オムライス650円、ギョーザ300円。

老夫婦2人で営んでいます。カウンター8席、小上がり1テーブル。14時でも満席です。小上がりはクロネコヤマトの4名の社員が五目そば&チャーハンにむさぼっています。物価高の中の救世主のお店です。この価格で運営するのは大変でしょう。

カンターには若者、ビールを飲む中年、50歳をを過ぎた夫婦が美味しそうに食事をしています。

ご主人頑張れ。

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少なくとも仕事は失敗から学んだほうが良い。

この言葉の重要さはこの年でよく考えます。
つまりより効率的仕事をこなし、成功させるためには「失敗」」から学ぶことの方が効率はいいのです。

ところがこの失敗を大切にしない人が沢山います。何度も沢山の汗をかき頑張るのです。その時間本当にもったいないです。
なぜそうなるのか?前しか見ないからです。前を見てれば良いと思っているのです。
周りを見るのです。自分のした残骸を見るのです。

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日本人はいつから「人の言葉」に敏感に反応するようになったのでしょうか?

最近、ハラスメントという言葉が耳に入ります。特に直接的暴力ではなく、言葉や態度に対し負担に思う人が多いのです。人間が生きていた時代には常にあったのでしょうが、最近はそれをクローズアップする報道や情報が多いので自分に照らし合わせいるのでしょう。

私のような人間はその困っている人の気持ちが理解できないと人によく言われます。
私のような人間とは何なのか?
私はこう考えています。
「私の人生です、人に迷惑をかけなければ(多少はしょうがない)人にとやかく言われる筋合いはないのです。相手の口は塞げませんので言うのは止められませんが、少なくとも気にしません。人に気を使いながら(それが自分にとって得な場合以外は)生きることはしません。
短い一生なんです、そんなくだらないことに時間を費やすぐらいなら、この人生どう楽しく有意義に生きるかに全部の力と時間を使いたいからです。

よく小学校に入学する時に先生が「沢山の友達作ろうね。」て言います。私はどれだけの人がこの言葉に被害を受けているのかと思います。友達がいないとダメなの?友達って作るものなの?知り合いと友達何が違うの?
何かの本で読んだことがありますが、学校に入学するときに「友達沢山作ろう」なんて言う国は日本だけだそうです。多くの国は学校生活を通し豊かになろうとは言うそうです。

さて本題に戻りますが、一人も決して悪くないです。「自分との対話も大事です。」私は工場への通勤時間(往復4時間)ほとんどこの時間は自分との対話に使います。
特に若い人と違い私には残された時間はそれほど多くありません。多少の無駄はしますが少なくとも人の事を気にはしません。(それでもポーズで気にする振りぐらいはするでしょうが)

多くの働く人達に言いたい、人に迷惑をかける身勝手はダメですが、少なくとも自分が思うように生きた方がいいです。
人を好きになるのも、嫌いになるのも自分の意思ではできません。勝手にそうなるのです。
自分の意思でできることは限られています。
だから「嫌な気持ちなるのも」自分の意思ではないのです。じゃどうするのか「忘れることです。」人間が持つ能力でこれほど強い武器はありません。使わ手はありません。自分にストレスを及ぼす人間の言動など忘却という武器で退治してしまえばいいのです。

それから働くことをそれほど重要視しないこと、精神修行じゃないんです。生活の糧を得るためにやっているのです。どうしても精神修行のようにしたい人は勝手にすればよくて、そんな人に合わせなくても何も問題はないです。

とかく学校でも親でもないくせに、もっともらしく偉そうにいう上司がいますがそんなこと気にすることはないです。そういうことを言う人こそ変です。

自分の人生を楽しくどう生きるかが大切なんです。その中の一部が仕事であり会社なのです。
運動部でもレギュラーになって試合に勝つことを生き甲斐に頑張る人もいれば、まだレギュラーにはなれないけど少しでも上手くなるために練習をする部員もいます。試合に出れる子は良い子で、試合に出れない子はダメな子ではないはずです。それぞれがそれぞれの立ち位置で頑張ることが大事です。そこには何の差もないはず。

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歴史から学ぶ

戦後80年が経過し、明治維新から終戦までの78年間を超えました。本当の意味で日中事変から太平洋戦争はなぜ起きたのかを学校では教えてくれません。

とかく当時の軍部が暴走してと、国民は被害者で全て軍部が悪いような話が出来上がっている節もあります。
左翼系は「全て軍部が悪く日本が悪い」という加害者論法、右翼系は「やむにやまれず国民は被害者、原爆、大空襲」という被害者論法。これでは過去の歴史から我々は何も学べません。
真実が知りたいのです。
第一次世界大戦後日本は欧米諸国の力(国力)による恐怖を感じたはず、さらに人種差別も感じた中で、どう植民地化されないかその当時の日本の政治家・官僚は考えたはずです。
その内容が知りたい。そこに歴史から学べることがあるはずです。軍部が暴走したのならば、即座にその司令官、陸軍大臣を解任できる仕組みがなかったのか?

軍部だけでは戦争はできなと思います。その当時の多くの国民、そしてマスコミもその波に乗ったはずです。いい例が日本は太平洋戦争に入る1941年が最も景気が良く国民は潤っていました。国民消費も活発、この年が最も旅行業も最盛期でした。その根幹は軍需産業です。

さて戦争に関しては私がコツコツ一人で勉強しますが、この歴史から学ぶ事をしない日本人の悪い癖は今も続いています。この30年日本のGDPは全く増えず、収入も増えていません。諸外国は大幅に伸ばしています。そこには必ず原因があるはずです。そのことを検証も曖昧にしているため、いまだに低迷は続いています。
積極財政:財政健全化の対極的な話ではないはず。ところが議論をすると必ず両極端な話になります。戦争も戦争か平和かではなく必ず、その間があるはずです。
それを日本人はしません。

そしてそれは会社運営でも同じです。過去の先輩社員のしたことを検証すべきです。何が悪かったのか、何が良かったのか?そしてそれを今に生かすべきです。社会が会社がとよく言う人がいますが、社会も会社も無機質なものです。そのような抽象的な向かい方でなく、あの時誰が何を言い、何を誰と決めて、決めないで、どうしたのかを知ることが重要です。

つまり南京大虐殺を中国から見たらとんでもないことをしたと言います。あの時の中国軍にも民間人を避難もさせなかった大きな過ちがあります。逆に日本の右翼は中国人を一人も殺していないなどと言います。そんなことはないのです。中国側言うほど殺してはいないが、明らかに日本軍は殺してもいるのです。これは解釈の問題ではなく事実のはず。

会社も同じです、その当時の先輩社員は間違っていなくて、誰がしても同じだという人がいますが、絶対にそんなはずはないのです。事実を積み上げ、何が問題だったのかを検証する能力ぐらいは身に付けたいと思います。

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ある眼鏡屋さんの取り組み

これはある眼鏡屋さんの冊子です。目にまつわるそれぞれの悩みを取り上げる気遣いは全ての仕事に通じるでしょう。

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