今年も厚生労働省の最低賃金審議会が開催されました。
世界の最低賃金比較(時給)は以下の通りです。
フランス 13.8ドル
オーストラリア 13.6ドル
ドイツ 13.6ドル
イギリス 11.8ドル
カナダ 11.1ドル
韓国 9.5ドル
トルコ 8.8ドル
日本 8.5ドル
アメリカ 7.3ドル
2030年を目標に、日本は最低賃金を1,500円に引き上げる計画です。
しかし、為替の影響が大きいため、1ドル100円と仮定すると13.6ドルとなり、単純な比較は意味をなさないと言えます。特に、アメリカは平均収入が高いにも関わらず最低賃金が日本より低い点が注目されます。これは、努力した人には適正な報酬を、そうでない人には甘えを許さないという精神があるため、チャンスの国と言えるかもしれません。
国が基準を設ける意義は何か、最低賃金の引き上げよりも、仕事の評価に基づいて高い賃金を得る思考への転換が必要だと思います。最低賃金の引き上げが必ずしも賃金全体の上昇につながるとは限りません。
東京都知事選挙が始まり、候補者たちは皆、金銭的な支援を訴えていますが、税金の軽減については言及されていません。国民にお金を配っても、それが幸福に直結するとは限りません。
国民は「もっとくれ」と要求し、政治家は「与える」と約束します。
企業も同様で、多くの従業員が要求を続けています。理由をつけて経営陣を批判し、彼らもそれに耳を貸しているように見せかけます。
入社時にはその企業の状況を理解していたはずですが、要求は際限がありません。本来ならば他社への転職という選択肢がもっとも合理的行動と考えます。
本来、社長は会社を成長させ、従業員の物心両面の豊かさを目指して働くべきです。
従業員も社長のビジョンを実現するために知恵と体力を使い、情熱を注ぐべきです。そして、その対価として適正な報酬を得るべきです。
国も企業も学校も、甘えることを常に考える人間を作り上げているとしか思えてなりません。
国は国民が豊かになるために何をすべきか、
企業は従業員が豊かになるために何をすべきか、
学校は学生が豊かな生活を送るためのスキルをどう教えるべきか、
これらを深く考えるべきです。
政治家や官僚、社長、部長、教師は、自分たちの都合の良い理屈を作り出し、国民や従業員、学生を誘導しているだけではないでしょうか。そして、その実態に気づかない人々を意図的に作り出しているのかもしれません。
お金を求めるばかりで、税金や社会保障費が増加し、国民自身が自らの首を絞めています。
そのため、所得税、住民税、消費税別、社会保障費を合計すると収入の50%以上を占めます。江戸時代の農民の年貢は40%でした。50%を超えると生活ができなかったそうです。なのでそれを超えると百姓一揆がおきたそうです。
企業も同様に、要求ばかりで働きにくい環境を作り出しています。
残念ながら、当事者は自分たちの行動が問題であることに気づいておらず、自分が正しいと信じ込んでいます。会社のため、従業員のため、部下のため、国民のためと公言しながら、実際は自己中心的な行動を取っているのです。
失われた30年は、経済成長の停滞だけでなく、自らを戦わせ、獲物を得る本能を失わせた私たちの世代の責任を感じさせます。人間として自己責任で生きる姿を取り戻すことが望まれます。
ただし、弱者へのセーフティーネットは必要であり、これは人類が長い時間をかけて築き上げたものです。
この重要なセーフティーネットを維持するためにも、それを支える私たちが甘えない姿勢を持つ必要があると、今回の最低賃金審査会の話題から考えさせられました。
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