もうすぐ2024年も終わろうとしています。忘年会、年末の挨拶、お歳暮、年賀状、喪中の通知、松飾、大掃除、更にはお餅つき、年明けには新年の挨拶、初詣、お年玉、数多くの行事が目白押しです。
社会は時代と共に変化し、行うべき新たな行事も増えていきます。つまり行事ごとで満載になるのです。現代人は意味のある行事、意味のない行事含め翻弄されています。
特にサラリーマンは海外の企業とも競争です。日本の行事に翻弄されているうちに先を越されるのです。
長い時代の流れの中で、全ての行事に最初がありました。ものによっては迷信であったり眉唾ものもあるのでしょうが、日本人は決まったことはやり続ける民族です。なので行為が全てになります。
いつもいうことですが、お歳暮は1年の御礼をするために実際に訪問し、挨拶をし贈り物でお礼の気持ちを伝えるものです。私が小さい頃は祖父はそうしていました。今は訪問することもなく宅急便で物だけ届けます。これ必要なんでしょうか?
年賀状、交通の便が悪い時代は中々人に会えません。なのではがきでお礼と年始の挨拶を伝えるのです。でもこれは明治時代以降の話です。今は電話、メール、Webもありますし、直ぐに会うことも可能です。年賀状必要なの?めーるなら一斉に何万人にも送ることができます。
年末の挨拶、本当に必要なの、誰がそんなこと望んでいるでしょうか?年末の挨拶をきっかけに商談をする、情報を取るなど、その行為の効用を人は並べるでしょう。ちなみに戦時中は行われなかったようです。
大掃除、綺麗にして新年を迎えるというけじめの意味合いもあるのでしょう。でも寒い中家の掃除をすることは非常に効率の悪作業になります。年に1回ならば暖かい時期にすることをお勧めします。
そんなこと言ったら何でもそうだということになるじゃないかと言いたいでしょう。その通りです。時代を変えるには否定することです。
人間は同じことをすることを脳が好みます。理由は脳はストレスが嫌いです、理由は非常にエネルギーを必要とするからです。なので本能的にストレスを避けるために同じことをしてしまうのです。そのようにDNAに組み込まれています。
ビジネスの社会で生き残るには、人と同じでは勝てません。まぁ、勝気がない人も沢山いるので私の話は頭に入らず、逆に嫌悪感を抱く人が多いでしょう。
迷信で言えば、松飾を12月31日飾ることを1夜飾りと言って嫌います。でも31日にスーパーに松飾を買いに行くと特売になっています。
中々、人間は不思議に周りと同じことをしたがります。子供のことで親が悩むのも、隣の誰誰が歩くと、なぜうちの子は遅いのと悩みます。人間はそれぞれ違うのです。
さて習慣の見直しは可能なのでしょうか?
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