イギリス政府は、景気回復と財政再建も図る為、苦難の道を歩み労働党が低支持率に苦しんでいます。多く国民は収入増を望み、税金の負担を減らし、社会保障の充実を望みます。この3つを成し遂げるのは明らかに矛盾します。
なぜなら多くの社会保障には多くにお金が必要となりますが、お金はあまり払いたくない、でも自分の収入は増やしたいということです。
現代社会は国民の望みを叶えるのが政治なんでしょうか?国民の望みはただ単に終わりなき欲望です。
おそらく、日本社会も同じです。日本国民もこの3つが欲しいのです。国がどうなるかなど国民は全く責任を持ちません。ただ単に自分の欲望をあたかも正義のように発言し、ただ批判するのです。TVに登場するコメンテーターと同じです。実にレベルの低い社会は作っています。
「自分のことは自分で責任を持って行う。」これが人間が生きる基本です。できたい人は基本死を迎えます。動物はみんなそうです。これを忘れた民族はいつか滅びます。
会社の中も同じです。人より沢山の給与が欲しい、高い評価も欲しい、さして楽したい。ここでいう楽とは自分なりに働くことを言います。ある意味身勝手です。しかしこれが現実です。サラリーマン人生には理不尽ばかりが続きます。なぜなら多くの人間の集まりを維持するにはそれぞれの幾分かの我慢で成立しています。なので人の評価に一喜一憂するほど、更に言えば評価に依存するなど、それこそ病気の素です。私のサラリーマン時代で知ったことは、評価と給与は一致しないということです。給与を上げる方法はただ一つです、会社の収益を上げることです。これ以外に上げる方法はありません。評価で給与は上がらないのです。評価はあくまで部下をコントロールするための手段です。
その一番顕著な例が賞与です。同じことをしていても会社の業績が上がると賞与は大幅に増加します。会社の業績が上がらない限りどんなに上長の評価が良くても上がり幅は少ないのです。
しかし不満の渦は止まりません。人より給与が少なければ不満だし、多ければ多くても、俺はこんなものではないと不満を募らせます。
どう自分を納得させながら、明日を手に入れるかです。過去の不満に取り込まれるほど悲劇はありません。そんなことより誰と出会い仕事をするかです。お金と評価と言う化け物に飲み込まれない自分を持つことです。
そういえばなぜ社員が賞与を増額しても喜ばないのかです。
今日の日経新聞を見て思いました。
上場企業478社の冬の賞与の平均が100万円台です。確かにこれを見たら誰も今の賞与に不磨を持つことはあれ、喜びは持たないでしょう。
それならばその待遇の会社に行けばいいと思うのだけれども、そうも簡単にはいきません。
さて当社でこの問題をどう解決するかは、イギリス政府や日本政府と同じように厄介な問題を抱えています。
今月は来年度事業計画のガイドライン作成の真っ只中です。来年の社員の給与水準をどこまで上げ、事業継続を行うかです。
何となく、机上じゃないんだよ、現場なんだよという社員の声が聞こえてくるようです。
会社とは社会と同じで、そこで生きる人間の欲望をどのようにコントロールするのか、そして
どう明日を生きていく糧を提供できるかのゲームのような気がします。
なぜ皆んな社長になりたがるのでしょうか?不思議でなりません。ほとんど身動きが取れないサンドバックに似ているような気がします。おそらく痛められるのが好きな多少変態なのかもしれません。

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